トンガリロ国立公園の”グレート・ウォーク”と呼ばれるトレッキングの体験談を、
『思いがけない大苦行!! トンガリロ国立公園2泊3日のトレッキング』と題していくつかの記事に分けてお伝えしている。
ここでは2日と最終日のトレッキングの様子を書いていこう。特に2日目はエメラルド・レイクやレッド・クレーターなどがある、この旅のハイライトにあたるコースの体験談だ。
DAY2:オツレレ小屋 ー マンガテポポ小屋(5H)
気持ちのいい、きりっとした寒さを感じて目を覚ました。
テントの中で、小さなパンと熱い紅茶のつつましい食事をする。山小屋のお客たちはずいぶんとのんびりとくつろいでいるみたいだ。彼らは僕とは逆方向から歩いてきた、つまり通常の時計回りに歩いてきた人たちなんだろう。今日と明日はもう山を下るだけ。皆すでにきつい峠越えは終えて、あとは下山後のビールを待つばかりといった雰囲気だ。
一方の僕は、彼らが昨日超えたはずの峠が、今日のハイライトになる。
しかし、歩き出すとどうにも関節が痛みだしてきた。足が上がらないというか、関節が曲がらずひどく傷む。これにはこまった。コースはいよいよ活火山のナウルホエ山に近づき、大小の岩がごろごろする火星のような歩きにくい大地に、足が上がらず、まるでペンギンみたいにひょこひょこ歩く羽目になってしまった。
言い訳のようだがニュージーランド各地にあるトレッキングコースは基本的に”登頂”をしない。山の中を文字通り”歩く”のがNZ式のトレッキングで、特にNZ北島には高い山があまりないこともあって、山頂を目指して”登る”ということがあまりないのだ。オークランドに年中暮らしていると、どうしても登頂を目指す日本式登山の機会が少なくなってしまう。それにしても、ここまでひどいとは、と思う。トレーニング不足がこうも影響するとは思いもよらないことだった。ペンギン歩きのおかげでおそらく倍以上の時間をかけて”火星の大地”をぬけ、峠の上部にさしかかった。
エメラルドレイクと峠越え
トンガリロのノーザンサーキットで最も標高が高い地点は、標高約1850m、ナウルホエ山とトンガリロ山の間にある峠だ。ここからはどのガイドブックにも載っている、エメラルド・レイクという火山湖と高峰の景色が拝めるのだが、僕が登った時はあいにく様の曇り空。それどころか、ガスがかかって「一寸先はガス」で100m先すら霧の中だった。
峠の登りは、まるで富士山の頂上直下のように砂地の坂になっていて、コース幅も狭く、キツい登りだった。”ペンギン”にはきつい行程だ。いや、ペンギンでなくとも、トンガリロの峠は(僕と同じく反時計まわりに歩くと)かなりキツい登りと言ってもいい。
峠の”砂利街道”ではたくさんの観光客らとすれ違った。エメラルドレイクから峠にかけては、デイウォークとして名高い「トンガリロ・クロッシング」のコースと重なり、登山者というより観光客といった風体の人たちが大勢歩いているからだ。僕は前から歩いてくる行列をかき分けるようにして登っていった。
「きゃあああああ!!」
すると突然、悲鳴を上げながら、前方の坂をこちらに向かって下っていた一人の若い女性が走り出した。何事かと見上げると、明らかに様子がただ事じゃない。僕の前方から、砂利の急こう配を恐る恐る下っていた若い女性が、あまりの急峻な斜面にバランスを失ったのか、止まれなくなって走るように下りだしていた。
悲鳴を上げながら、しかし自力では止まれない。道の両側は崖だ。転がり落ちれば軽傷じゃ済まない。そんなのが僕の方向にむかって走ってくる。どうする、対処する、と顔を強張らせていると、僕と女性のちょうど中間地点にいた大柄の男性がタックルして止めてくれた。女性は泣いていたもののケガはないようだった。別の中国人らしき若い女性も、あまりの急な下り坂に泣きながら降りていた。僕をふくめ、トンガリロをかなり甘く見ていたんだろう。
さて、やっとガスで真っ白な峠を越えた。地図上ではあとはもう下るだけだ。ようやく一息つく。ガスで視界も聞かず、足もいうことを聞かない。トレーニング不足とはいえ、まったくやれやれだ。
「レッド・クレーター」という大地を越え、溶岩で埋め尽くされた大地をゆっくり歩き、夕方ごろにやっとのことで目的地「マンガテポポ小屋」に到着。5時間で済むはずの行程を、倍近くかけてしまった。
マンガテポポ・ハット
マンガテポポの常駐スタッフはキーウィの若い男で、僕の顔を見るなり「日本人か」と聞いてきた。聞くと日本に行ったことがあり、北海道のスキー場で働いていたのだそうだ。日本人にとても優しくしてもらい、恩を感じているらしい。
僕がオーストラリアやNZをバックパッカーとして旅していたころから、こういう男性にはよく出会った。彼らは日本と季節が逆であることをうまく利用し、NZの冬はスキー場で働き、夏の時期は冬の日本に飛んで、これまたスキー場で働くのだ。このマンガテポポのキーウィもそうやって20代を過ごしていたらしい。そしてうまい具合に「国立公園のレンジャー」の職を見つけてトンガリロまで流れてきたというわけだ。
「まぁ、ゆっくりしていってよ」
日本通のキーウィは、ひとしきり立ち話をしてから小屋の方に戻っていった。宿泊客が揃ってのあいさつのとき、鳥の名前を間違っていたりと危なっかしいところもあったが、面白い生き方をしている人と出会って、ついつい嬉しくなってしまった。
翌日、最終日は草原と灌木の混じる大地をひたすら歩いて、出発地であるふもとの町、ファカパパに戻ってきた。道中は足の痛みと、ゴールの後にバーに行って飲むビールのことで頭がいっぱいだった。テント泊を伴う山歩きの時は、いつもこうだ。最終日はとにかく下山後のお楽しみのことばかりが頭に浮かぶ。これはきっと僕だけではなく、ザックを背負って山々をあるくトレッカーたちは皆そうだろう。
無事(ではないが)、ふもとの町にあるバーによって軽食とビールを掻きこみ、僕のトンガリロ・ノーザンサーキットというグレートウォークは幕を閉じた。全約48km(パンフレットは43km)、3日間に及ぶトレッキングだった。北島の残るグレートウォークはあと一つ、レイク・ワイカレモアナ(Lake Waikaremoana)。次回はこのトレッキングをレポ―トできたらと思っている。
- 参考URL:環境省(DOC):Tongariro Northern Circuit
Last Updated on 2022年9月20日 by 外山みのる
コメントはこちら